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5月12日(土)の「ここから裁判と金崎裁判を支援するみんなの会」はとても充実した元気の出る会でした。 記念講演をされた世取山洋介先生(新潟大教員・DCI日本支部事務局長)には初めてお会いしましたが、野球の松井選手を彷彿させるような体格の良い先生で、おまけに歯に衣着せぬ江戸っ子弁で話されるので大学の先生とは思えない親しみを覚えました。 講演のなかで、世取山先生は七生養護学校の実践が、試行錯誤(創意・工夫、つまり教育の自由)を繰り返しながら進化してきた過程を分析してくださり、いかに七生の教育が子どもの実態に即したものであったかを話されました。 性行為の蔓延など否定的な行動を繰り返す子どもたちに対して、自己肯定観を育てることしかない、と教師が気づき、ではどうしたら、というところから、自己肯定観の基礎としての〈快〉の感情=身体的感覚としての〈快〉と人間関係における〈快〉=ありのまま受け入れられること、に気づき、子どもたちとの応答的な人間関係(要求と応答)を育てることを重視しながら教育内容を展開してきた。たとえば子どものことばをもとにしてつくられた教材の「子宮体験袋」は、実に「愛される対象として生まれる」ことを確かめ、実感できる優れた教材であり、そこでは傷ついていた親子関係の統一的な把握がなされ、人格形成に大きな力をもたらす。子どもは依存する相手(大人)があって安心して育つ(人格形成が可能)存在である。自分の中で統合されていない感情、知識、関係性などを障害児故に実に丁寧なプロセスを経て統合し、子どもの発達、人格形成を進めていった実践が「こころからだ」の教育である。またこうした実践が学校教育の体系化をなし全校ぐるみの実践となったことも希有なことである。 一方、学校間の競争をあおり賞罰で評価する新自由主義教育改革の立場からすると、七生養護のこの実践は実に目障りな実践(教師たちが困難な子どのたちのために団結して努力している。さらに障害児たちや親とも心を通わしている。)であるから弾圧されたのである、という言葉も非常に納得がいきます。 つまり七生養護学校は、こんなすばらしい学校が実際にあるのかというぐらい、すばらしい学校なのだ、というのが世取山先生の話でした。
さっそく世取山先生の意見をここから裁判の資料にあげるとのことです。 また私たちは力強い味方を得ることができました。
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